レールの引かれた人生
私はまだ若すぎるのだろうか。変化の激しい周りに揺さぶられ、自分の道を見失うのはいやだ。だけれど、その"普通であれ"という言葉が私の心の隙間に入り込み、私を揺さぶる。
レールの引かれた人生。
これを恵まれた環境だから生きられる道であると感謝するべきなのか、作られた道だと憎むべきなのか。答えはまだ見つからない。ただどうしても抗いたい衝動を心に燃やし続けるのみ。
思えば、いつからだっただろうか明確な時期は覚えていないけれど、気づけばその気持ちは常に心のうちで燃えていた。結局、天邪鬼と言われればそれまでの気持ちではある。が、今の私にはその気持ちがすべて。
抗う。いや、抗っているようにみせている。その実態は何なのだろうか。
私はそんな"普通"に縛られていない、いやそもそもそんな"普通"などないのだと、それすら私が作り出した幻想だったのだと突きつけてくる人たちを知っている。
そして自分を振り返った時に、あぁ私はまだ縛られていたのだ。と
いや、縛られていたのではない、縛っていたのか?
私は何に抗い、何を拠り所に生きていたのか?
私が縛られていたのでは無く、"普通"という紐で自分を縛り遊びのような抗いをして、満足していただけではないか?
そう思わされる。
私は憧れる。
人生を生きている人に。人として、生き物として、生を感じて生きる人に。
安全な檻の中でしか生きていけないくせに、檻の外で生きる人に憧れるような、そんな矛盾した自分がどうしようもない。