世界がひっくり返る時
生きていたら時々、今まで見ていた世界が逆転するようなことに気づくことがある。
そんな時の気分は大抵雨のしとしと降る寄り目な世界に入り込んだような感じだ。
私が今までそんな気分になったのは、記憶にあるなかで3回だけ。"だけ"なんて、意外と多い。笑
1度目は、キリスト教を信じる女の子と話した時。
自分がその世界に入るためと言うよりは、単純にその子の見る世界を覗いて見たい好奇心から何度か勧誘と言うものをされてみた。
ほとんどの時間は、理解はできるけれど他人事のようで、どうにも毎回気を悪くさせずにやはり興味が生まれないことを伝えていた。結局最後まで。
でもその間で一度だけ、その子の生きている世界を体験したような気になれた瞬間があった。
あぁ、この子が生きる世界は、絶対的に神が頂点にいるのだなと。
単なる理解ではなく実感し納得した。
と同時に、今まで私が見ていた世界が文字通り逆転したような、とても不思議な感覚を覚えたのを今でも忘れられない。
この子と私は一見すると同じ人のはずなのに、その子の目から見る世界はすべての前提に神がいて、自分自身の存在の前にも神がいて。
神を信じる信じないという違いは、単なる宗教の有る無しなんていう文面から感じ取れるオプションの1個みたいな"違い"じゃあない。まったくちがう。なんていうか、こっちは相思相愛だと思っていたのに向こうは付き合ってたとすら思ってないみたいな。(いや例えがチープすぎて逆にわからん‥)
そして今この瞬間も歴史的にも、世界をそう見ている人の方が圧倒的に多いということがさらにくるものがある。感動‥とはちょっとちがうけれどもな。
2度目はいつだったかな、ゼミに入りたての頃だったような気がする。
私は社会学系のゼミに所属していた。何せ記憶力が悪く覚えていることなど途切れ途切れで、その日のことも、断片的にしか覚えていないが、その瞬間のことだけは感覚と共にまだ覚えている。
その日のゼミでは何の流れか憲法の話になり、
ふと先生が、「でも君たちも憲法に教育を受ける権利の記載がなければ、学校にすら行けてませんよ」と言った。
もちろん知っている。知っているし、他人からの口から教えられたし、なんならテストの解答用紙に書いたこともあった‥気がする。
なのにその瞬間、世界が逆転した気がした。
私の頭の片隅の片隅にほっぽられていた「憲法」っていう単語が、今までぼやぼやしていた私が生きている社会の土台に見えて、それと同時になぜか今までつっかえていたものが取れたように気持ちがすごくすっきりした。
自分の生きてきたここは、人間が造ってきた社会で、私はその社会の上に生まれ、生きてきて、生きているんだなと知識でなく実感した時に、私は今まで自分が生きてきた世界のことを何も知らなかったことに気づかされ、世界、社会を知らないからこそ今の自分のことすらもふわふわと掴めないのだと気付いたのかもしれない。
今思えばその瞬間が、私が人間社会の成り立ちに興味を持ち始めたきっかけだった。
3度目、というより3個目はいつだったかな。
初めて感覚を覚えた時がいつだったのか覚えてはいない。不意にその感覚が心を突き上げてくることが何度かある。
そして、今もそれについての解、と言っていいのか、自分なりのまとまった考えはできていない。
ここはなんだか壮大な時間と労力をかけて男性が作り出した"世界"なのではないか、という感覚。
人が時間をかけて築き上げてきた社会。人?違う。男の間違いではないか?
争い、金、経済、性別的役割、社会的常識、生き様の良し悪し。
これは、まだ疑問を抱き始めた段階でしかないのでまとまらず、知識も何も未熟であるので自分の中で消化は全くされていない。困ったものだ。
でも当分悩みには困らなさそうなので良しとしている。